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【朝ドラ】ブギウギのモデル笠置シヅ子って何者?生い立ちを徹底解説!

「ブギウギ」のモデル 笠置シヅ子の生い立ち

2023年度後期の朝ドラ『ブギウギ』がスタートしました。

この『ブギウギ』のモデルとなった「笠置シヅ子」さんをご存じでしょうか。

笠置シヅ子さんは、今では替え歌としてCMで有名な曲を歌ってきた、戦後の大スターです

そんな笠置シヅ子さんの生い立ちを調べてみました。

この記事でわかること
  • 笠置シヅ子さんの生い立ち
  • 笠置シヅ子さんの夫
  • 笠置シヅ子さんの娘

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目次

笠置シヅ子って誰?

戦後の大スター、笠置シヅ子さんは「ブギの女王」と呼ばれています

最近では、アーティストがカバーしたりCMに替え歌で登場したりと、笠置さんの曲は多くの人が聞き馴染みがあるのではないでしょうか。

笑福亭鶴瓶さんと似ていることから、お互い『親子だ』と言い合っていたこともあるそう。

笠置シヅ子さんは、第一線で活躍しながらも戦況によって派手なパフォーマンスを自粛せざるを得ない、そんな時代を生き抜いてきた歌姫です。

笠置シヅ子の生い立ち

戦後の人々の生活を明るくした笠置シヅ子さんは、いったいどのような生い立ちだったのでしょう。

出生の秘密  

1914年香川県で誕生し、亀井家の養女として引き取られる

1914年、笠置シヅ子さんは香川県で生まれました。

父は名家の御曹司、母はその家で家事見習いをしており、許されない結婚でした。

生後まもなく父親は他界、母親は母乳の出が悪く、偶然出産のために帰省中の「亀井うめ」という女性の貰乳で育ちました。

そしてそのまま、笠置シヅ子さんはうめの自宅がある大阪へ引き取られ、亀井家の養女となったのです。

静子さんは亀井家で実子として育てられ、自分が養女だと知ったのは後になってからだといいます。

エンターテイメントの世界へ

1927年宝塚音楽歌劇学校を受験するも不合格 同年松竹楽劇部生徒養成所に合格し「日本八景踊り」で初舞台
1934年日本コロムビアからレコードデビュー
1935年笠置シズ子に改名
1938年松竹歌劇団に参加
1939年芸能界の第一線で活躍 激しい歌とダンスで当局から目をつけられ、表舞台から姿を消すことに

1927年、小学校を卒業した笠置シヅ子さんは宝塚音楽歌劇学校を受験しますが、残念ながら不合格。

ドラマでは「私が小さいから」というセリフがありましたが、身長が足りずに受からなかったのは事実のようです。

その後、松竹楽劇部生徒養成所に合格し、「三笠静子」の名前で初舞台を踏んでエンターテイメントの世界に入っていくのです。

松竹で活躍した笠置シヅ子さんは、上京し「恋のステップ」でレコードデビューを果たします。

翌年、昭和天皇の弟である澄宮崇仁親王が「三笠宮家」を創立。

「三笠」姓を恐れ多く思った笠置シヅ子さんは、このタイミングで「笠置シズ子」に改名しています。

1938年、笠置シヅ子さんは帝国劇場で旗揚げされた「松竹歌劇団(SKD)」に参加して、作曲家・服部良一さんと出会います。

後に服部良一さんの曲でジャズシンガーとして飛躍する笠置シヅ子さんですが、派手な化粧と踊りで戦況にそぐわないとされ、劇場を追われることになります。

運命の出会い

1943年吉本穎右と出会う
1945年11月芸能活動再開
1947年舞台で披露した「東京ブギウギ」が大反響 
吉本穎右が死去後長女を出産

戦時中の1943年、20歳の大学生吉本穎右さんは実家の大阪へ帰る途中、名古屋で笠置シヅ子さんと出会います

かねてから笠置シヅ子さんのファンだ、という吉本穎右さんが楽屋へ訪れたのです。

笠置シヅ子さんは、その時に吉本穎右さんから渡された名刺を、生涯大事に持っていたそう。

その後、ふたりは結婚を誓い合いますがその頃には、吉本穎右さんは結核を患っていたのでした。

戦後、芸能活動が再開されましたが、ふたりは仕事の合間を縫って交際をつづけ、1946年に妊娠がわかります。

その頃、大阪の実家に帰っていた吉本穎右さんは、容態が悪化し危篤状態になってしまいました。

可哀想に思った吉本穎右さんの叔父は、笠置シヅ子さんを呼び寄せようとしましたが、穎右さんはシヅ子さんの体を気遣って断ったといいます。

そしてふたりは再会することなく、吉本穎右さんは生涯を閉じました。

その数日後、笠置シヅ子さんは長女を出産します。

ブギの女王はシングルマザー

1948年映画の主題歌として「東京ブギウギ」を売り出すとまたたく間に大ヒット 
ブギがブームになり「ブギの女王」と呼ばれるまでに
1948年以降「ヘイヘイブギー」「ブギウギ娘」「買い物ブギー」などたてつづけにヒットを飛ばす
1955年「たよりにしてまっせ」歌手生活最後のレコード発売

長女を出産したばかりの笠置シヅ子さんは、すぐに「東京ブギウギ」のレコーディングを始めました。

シングルマザーとなっても、ますます活躍の場を広げていったのです。

ドラマの中でも、赤ちゃんを預けて舞台へ出ていく姿が演じられていましたよね。

実は、吉本穎右さんの母親が生まれた長女を引き取りたい、と申し出たそうですが、笠置シヅ子さんは断っています。

自分と同じ境遇にさせたくなかったといいます。

その後、立てつづけにヒット作を歌ってきた笠置シヅ子さんは、いつしか「ブギの女王」と呼ばれるようになったのです。

ブギが下火になってきた1957年、「娘の育児優先」を理由に歌手の廃業を宣言しました。

笠置シヅ子の夫とは?

笠置シヅ子さんの夫、吉本穎右さんは吉本興業の創業者、吉本せいさんの次男として生まれました

吉本せいさんといえば、2017年の朝ドラ「わろてんか」のモデルとなった人です。

吉本穎右さんには兄がいましたが、幼い頃に亡くなっており、穎右さんが吉本興業の跡取りとして育てられました。

ファンだった笠置シヅ子さんの楽屋に訪れてから結婚に発展したふたりでしたが、母親の吉本せいさんに結婚を反対されていたのです。

妊娠がわかってからは、母親も歩み寄りの姿勢をみせていました。

ところがこれからというときに、吉本穎右さんは持病の結核が悪化して娘を抱くこともなく息を引き取ります。

死後、子どもの名前を記した遺言と貯金通帳を笠置シヅ子さんの元へと託した吉本穎右さん。

最後まで笠置シヅ子さんを大事に思っていたことが計り知れます。

笠置シヅ子の娘の現在は?

「男なら穎造、女ならエイ子と名付けよ」と遺言を残し亡くなった吉本穎右さん。

その遺言どおり、亀井エイ子と名付けられた笠置シヅ子さんの長女は、現在どうしているのでしょうか。

以前、テレビ番組に出演されていたことがあるようです。

1947年に出生されているので、2023年現在は76歳になっておられます。

テレビ出演時には「亀井エイ子」と紹介されていることから、ご結婚はされていないかも知れません。

笠置シヅ子の晩年

笠置シヅ子さんは1957年に「これからは女優として活動する」と宣言し、笠置シズ子から笠置シヅ子へと改名しています。

これまでの「笠置シズ子」の高額なギャラでは使ってもらえないから値下げして欲しい、と公言していたそうです。

「娘の育児優先」を理由に歌手を廃業した笠置シヅ子さんでしたが、「太りかけてきたから」というのが本音だそう。

「自分の全盛期を汚したくない」、その後も鼻歌でさえ一切歌を歌わなかったといいます。

その後は女優やCMなどで活躍し、1985年卵巣がんで亡くなりました。

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まとめ

以上、朝ドラ「ブギウギ」のモデル、笠置シヅ子さんの生い立ちについてお伝えしました。

  • 笠置シヅ子は貰乳をした亀井うめに引き取られて育った
  • 笠置シヅ子は松竹楽劇部生徒養成所に合格し、舞台女優として活躍した
  • 笠置シヅ子は夫の吉本穎右と出会い妊娠するが、穎右は娘と会えずに死去、数日後に出産するという切ない別れ方をした
  • 笠置シヅ子はシングルマザーで「ブギの女王」になった
  • 笠置シヅ子は完璧な姿を見せられないと言う理由で、潔く歌手を廃業した

シングルマザーでカッコイイ笠置シヅ子さんが「ブギウギ」でどのように表現されるのか楽しみですね!

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